2015年7月6日月曜日

第八回目のサロマ湖ウルトラマラソンの挑戦

平成二七年六月二八日(日)朝五時スタート


 
私のサロマ湖ウルトラマラソンの挑戦も今年で八回連続になる。
毎回の気候の変化や気温の変動に体調が付いて行けなく成る程、レースは常に過酷である。
又、エントリーもマラソンブームの影響で受付から三〇分もしたら受付終了に成るレースが増えている。

サロマ湖ウルトラマラソンも同じで、一月二一日の夜八時の受付よりパソコン上でエントリーを開始するが繋がったのが二〇分後…何とか申し込みは出来たが来年はどうなる事やら。

 二月からはサロマ湖の練習も兼ねて和歌山口熊野マラソン(フル)、又同じく二月に京都マラソン(フル)も走り、二レース共三時間半切り、三月の始めの大阪淀川寛平マラソン(フル)も出走。
ただし、荒れた天気で雨のドロたまりのレースでこのレースは三時間半を切ることが出来なかった。
 又、三月一五日には京都ロードレースのハーフを走り一時間三六分のまずまずのタイム。
そして三月二九日は和歌山の熊野古道中辺路マラソンランレース(トレイルラン)三三キロに出走。タイムは一〇時間五一分。アップダウンのレースでのタイムは上々で楽しく走れた。

四月の全走行距離は四〇〇キロ。後二カ月後のサロマ湖に向かって順調にできている。
五月十五日には鯖街道マラソン(通称半鯖四二キロ)を走る。
ただし、ここに落とし穴があり例年以上のスピードで登りを駆け上がり順調に走っていて頂上からの下りにはいってすぐに前の人を抜こうと左より少し移動した時に木の枝ですべり、ハイスピードで左手・左胸・左足全体を何度もバウンドで打ち付ける転倒をしてしまう。
 
 左膝下からは石にぶつけたのか、深い切り口裂傷から血が出てくる状態。
又腹上も血がにじんでいる。左腕のアームカバー(白色)も血が浮いてくる状態。
少しその時に地の処理をして少し先のエードまでゆっくりと行き、治療をしてもらう。
少し血も治まってきたので、まだ一三キロ地点であったが、完走したい気持ちが強かったので少し痛みを堪えて走り出す。
途中何回も痛みが出てくるが走れるような気持ちがあり残り二九キロを走り抜く。

 ゴールは自分の思っていたタイムには程遠いが、自分に頑張ったと言い聞かせて喜んでいたが身体が冷めるのと同時に足がはれてくる。
腕は動かない、上がらないと段々と転倒の衝撃の強さを感じる。
少し友人の応援をと考えてまっていたが身体が限界に達して車の運転をして友人を送り帰る。
自宅に戻り、身体を洗いケガの治療をするが足は段々腫れが大きくなり医者へ行く。
病院では洗浄と治療と手当をして頂き破傷風の注射もする状態に。
れから三週間は打撲の痛さと切り口の炎症で走るどころか歩くことも出来ない日が続いた。

ようやく六月初めより少しずつリハビリを兼ねてジョギングから再開。
あと一カ月も切りサロマ湖が本当に走れるか…すごく不安に。
もうここまできたら前向きに考えサロマ湖の為に疲れが取れる時間をもらってよかったと思うように、サロマ湖まではゆっくり軽い練習に切り替えてその後は二週間前の二五キロゆっくりランが最大だった。

 サロマ湖一週間前もあまり走らずに、そして大会二日前の金曜日に北海道へ向かい、土曜日はゆっくり足休みをして当日の夜中二時に起きることを想定して夕食も六時前には食べ終わり、天気は近年に無いほど涼しく、いや寒いくらいの気温である。
私自身寒いのが好きなので気分的には落ち着いていれた。
当日、午前二時に起床、前日寝たのは一〇時(九時に布団に入ったが)約四時間の睡眠。起床後はすぐお湯を沸かし、うどん・もち・おにぎりを食べる。

三時にホテル前に集合して約1時間かけてスタート地点へバスで行く。
私の泊まっているホテルからは約六〇人がエントリーしている。三時の気温は六度。非常に寒い。四時一〇分にスタート地点に着く。会場で最後の着替えと食事をしてトイレへ並び四時四五分にスタートラインへと入る。その間にバナナ一本大福一個とスポーツゼリーを食べる。
私の服装はノースリーブで肩が出ていて非常に寒い。





五時スタート。合図と共に徐々にスタートラインへ。
約一分一一秒のロススタート。

六月の練習はほとんど軽めの練習ばかりで運動不足状態で足が軽い。
この足の軽さは練習不足と感じる。後での筋肉痛が応えそうだ。
ノースリーブのシャツを着ていて肩が出ているので少し寒いぐらいの気温、軽快に走る。
も出ず楽である。


一〇キロ地点通過、五五分四八秒。
少し例年より早い。汗も余り出ず快調である。
ただし汗が出ないがトイレが近くになる。今年は本当に寒い。
一五キロ手前のトイレに入り一分半のロス。少し時間を気にしながら走る。
二〇キロ通過(一〇キロタイム五六分九秒)ペースは安定しているがトイレ分だけロス。
二〇キロのエードで初めてサプリメントを一袋飲む。
身体も足も順調。二四回大会のような感じ。実に気持ち良い走りできている。五月のケガが嘘のようだ。しかし寒い…
三〇キロ通過(一〇キロタイム五七分一八秒)安定している。エードではバナナ・オレンジ・梅干し・サプリメント一袋を取る。
三五キロエードでパンとゼリーを取る。
四〇キロ通過少し足の張りが出てくる。又三五キロ近くで二度目のトイレ。この何年間は暑い大会が続いていたのでトイレは行かずだったが、今年は四〇キロまでに二回もトイレロス。
四〇キロ通過(一〇キロタイム五八分一九秒)まだまだ安定している。フルマラソンの距離でのタイムは四時間九秒と二四回大会より一分早い!



これからはアップダウンが六五キロまで続く。又、空腹感や足の張りが出てくる。
で四五キロでバナナ等を取る。少し登りがキツイが汗が出ない分快調で走れている。
五〇キロ通過(一〇キロタイム五七分四六秒)まだまだ安定して走れている。
後四キロ少しで休憩ポイントのエード。おにぎりや、自分のサプリメント、スポーツドリンクを置いてあるので後半に備えての休憩を取る。冷却スプレーにて足を冷やす。顔も拭き応援の孫の顔も見て元気をもらい走り出す。(約六分のロスではあるが)
これから少し登り下りが続く。
六〇キロ通過時間は(一〇キロタイム一時間四分三一秒)休憩時間分と登りで思っているより三分のロス。少し追い上げたいがやはり六〇キロ走ってくると足の張りと脱力感で走れなく成ってくる。このような時は手で走るように、手を振り足を動かすように走る。段々と気持ちも身体も疲れが出て、足も動かなく成ってくる。
それでもトイレ休憩やバナナ等の飲食をして七〇キロを通過する(一〇キロタイム一時間二分三五秒)一時間切りだと思いながら走りながら徐々にペースはおちていく。気温も上がってくるし天気も時折日差しが出る状態になってくる。少しの日差しと暑さが体力の限界とおもえるくらい疲労感が襲ってくる。水分補給を前半の倍以上を取っても足らないくらい…それでもまだまだ走れると自分に言い聞かせて走る。




八〇キロ通過(一〇キロタイム一時間二分三五秒)少しずつねばるところがねばれている。又七八キロで足の張りがピークになり左足の悪い所カバーしていた右足のふくらはぎがピーンと張りこむら返り状態に。少し走るのを止めて自前のスプレーで冷やし少しゆっくりのばして走り出す。
あと二〇キロ少し。ベストを出したい気持ちで走っていたがこれ以上無理したら完全に走れないような感じ。少しペースダウンしてゆっくりと右足を余り使わずに走り出す。後二〇キロはワッカ原生花園に入る。最も苦しい所でもあるが最も美しい所でもある。又これから原生花園内は自分との最後の戦い。足の痛み身体の疲労はピークに。各給水スポットやエードで足を冷水で冷やしながら走る。85㎞の補給所で食べるスイカ・バナナ・レモン等で身体はいつも少し生きかえる。冷水も足にふんだんとかけ首にも水をかけて走り出す。しかし少しゆっくり走っていたためか足が動かなくなる。
九〇キロ通過(一〇キロタイム一時間一四分一四秒)非常に遅れてしまった。
後一〇キロもう少し無理しても走りゴールしたい。足の動きは悪いが気力で毎年ラスト一〇キロは走っている。

今年も自分との戦いだと思い少しアップして走る。

残り五キロの看板が見えてくる。気持ちがホッとするのか全身が楽になる。
ワッカを抜けると後三キロ。ふくらはぎや太ももはピークになっている。少し無理をすれば肉離れになるだろうと感じる。
でももう三キロ。少し痛みが出ても頑張れると自分に言い聞かせて応援の人がいっぱいいる沿道に入る。
応援コールに励まされ残り二キロをひた走る。頭の中は今年も頑張れたと思う気持ちや自分が今走らせてもらっているのも家族や仲間がいて支えてくれていると頭の中で思う。いつもこのラストは自然と涙が出てくる。
残り三〇〇メートル。大声援の中ゴールへ向かう。自分との闘い、嬉し涙と共にゴールする。色々な人々に感謝でいっぱい。

ゴールしてメダルをかけてもらい、軽く足を動かし水分補給とアイシングに入る。



今年のサロマ湖は二四回大会【私の二回目】の時とよく似た天気気温で暑がりの私には最高のコンディションであった。しかしラスト二〇キロのねばりが出せずベストは出なかったが(一〇時間一七分四九秒)ネットタイムは十分に満足のタイムであった。
又来年九回目目指しスタートしたいが今は早く眠りたい何も考えずに。一年間の充実感と痛さを身体に感じて終わる事とする。






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