2015年11月18日水曜日

第5回神戸マラソン走ってきました。





平成271115日開催の神戸マラソンに初めて抽選にて当選。

10月いっぱいは練習も積む事も出来て、絶好調に近かったですが、111日の会社イベントの前日の準備や、当日の焼きそば焼や餅つきと張り切り過ぎて、5月にマラソンの転倒による損傷個所を悪化させてしまい、肩や腕が上がらなくなり、体調も急変し、113日の丹波高原のハーフマラソンも、お腹の調子も最悪に、タイムも歴代ワースト記録になりました。
本当は神戸マラソンの二週間前で最高の練習になるはずが…

それから二週間は軽めの練習を2回しただけ!

実際神戸大丈夫かと思う状況でした、当日は当初は雨予報でしたが、早朝で上がってくれました。
しかし晩秋とは思え無い暑さ、湿度に成って、汗ダクまみれで走りました。

当日は朝5時前に起床、食事とトイレを約30分で済まし、走る準備して535分には家を出発、阪急西山天王山駅に55分に着き、63分の梅田行き準急に乗り、一三にて神戸線に乗り換えて三宮へ73分着。
少し三宮着いたら時雨気味でしたが、直ぐに上がり、日差しが出てきました。
Aブロックスタートで、神戸市役所前で1番近かった為に着替えや移動は楽でした。
これならもう一台後の電車でも十分に間に合うように思う。

着替え済まし、軽く軽食とジュースを飲み、荷物を車に預け85分その後少し道路にてアップ走り、20分にトイレに行き40分に集合地点に。
その後9時スタートにて神戸マラソンスタート、スタート地点までは1分半遅れ、二週間練習が、出来て無い分足は軽い。

しかしこれが難しいのがマラソン。

軽い時は抑え無いと失速することがほとんど。
今日はまずは息が上がらない程度に走りだす。

5キロを24分代で、30㎞まではほぼ変わらずのペースにて走る事が出来ている。
水分補給は暑さと湿度が高い為に全てのエードで取る。



サプリメントは10㎞でアミノバイタル顆粒
15㎞でジェルを半分22㎞で2本目のアミノバイタル顆粒を25㎞でジェルを残り半分食べ
30㎞でニーの顆粒を1袋取り
32㎞で2本目のジェルを半分食べ
35㎞で残りのジェルを食べてエードでみかんを食べゴールを目指す
30㎞すぎると少し足に張りが出てくる

35㎞の最後の難関の高速道路の登りで、登りきったところで右足太ももにケイレンをおこす、しばらくストレッチして、右足に力を入れないような走りに
残り10㎞は自分の理想より5㎞で2分の遅れ
10㎞で4分の遅れになり、グロスでのゴールは3時間半を切れず
ネットタイムで何とか3時間半ぎり、タイムは3時間2917秒不調の中でのタイムは十分に満足する走りになった。

来週23日は福知山マラソン。

走れるかわからないが、頑張ってやる。自分に気合入れて就寝する。





追伸    朝食事は5時にお餅2個とご飯卵かけ一杯味噌、チーズ、終わってからはうどん大と稲荷寿し一個、家に帰りにゅうめんと焼き鯖寿し三つ。

帰りに高槻にてスーパー銭湯で足のケアをする、水風呂3セットにて。

2015年7月23日木曜日

志賀高原マウンテントレイル

711日(土曜)13時スタート。
11日朝4時起き。445分に自社事務所にて待ち合わせ。

社員の石田君も参加、彼は昨日から私の家で泊まっている、彼と415分より軽く朝食食べて、
440分に事務所待ち合わせ場所へ

1人遅れるが何とか515分には高速に乗ることができた
今日は快晴 暑く成りそう
3回の休憩をしながら、11時前に長野自動車道の中野インターを降り、コンビニにて最終食事を8人皆で済ます
30分で志賀高原の受付会場、やはり快晴暑い。


11時半に受付して、車に戻り着替えして13時のスタートまで、各自準備や偵察や買い物に。
いよいよ15分前に、少し緊張は有るが距離はショートの13kmと余裕を持っていたが、山を見て、又レース解説聞いて、内容に少し不安に…  
トレイルラン用に昨日新しく靴を買ったが、  泥んこに成りますよ、皆さん思い切りドロドロに成って戻ってきてくださいと…アナウンス

又階段にしたら200段以上の段を登り、標高もスタート地点が1600m最高は2200と約600の山岳をアップダウン繰り返し頂上へ登り、最後はスキー場をイッキに下りゴールを目指す。
スタート地点で感じるのは、白髪のおじさんはまばらである、若い人がほとんど、又女性も沢山参加されている
やはりトレイルは不整地を走るので   怪我や事故が起きる、年寄りには危険、しかも私は5月にレースで転倒大怪我してまだ二ヶ月…十分に不安
又トレイルの中級レースと成っている、


私より年齢が上の女性であり、8人皆無事で完走出来る事を思いスタートした、
スタートしたら、負けん気がはやるが二週間前に100kmレース走った後まだ完全には体調や、内臓は癒えていない…と自分に言い聞かせ少し抑えて走り少しのアップダウンを繰り返し2kmからは沢の淵を走る(道幅は1人がすれ違う程度)

ここでは抜くのは無理、又対面からも登山の人やハイキングの人がおりてくる、
挨拶しながら走り、5kmからは山登りが待っていた、階段とは違う凄い高さがある一段や木の根の一段や雨道に成った一段や登りきれば、泥んこの道が続いていたりと、景色や横を見てる余裕がない、
又水も飲むのに休憩する場所も無い、ぼっとして立っていると邪魔になるぐらい…なんだかんだ言ってるうちに頂上にもう1時間半回っている

5km弱これからは下り^_^少し気持ちは楽に、ところが5月の転倒大怪我がよぎり、自分ペースで走れずに、スキー場を直角に降りてきて、少しだけ上がり後は1キロ弱のところまで来たら、急に過呼吸状態に…なんで…そうかここは標高が高く空気も薄く、下りで吸い過ぎたのか?少し座り込み五分程したら呼吸も落ち着き

残り800m  ゴールへ何事も無いように笑顔でゴール^_^

2時間9分まずまずのタイム、暑さは厳しいかったが湿度がカラッとして思うより楽には走れたように思う。

たまには山岳レースもいいもんだ、社員の石田君もゴールと全員が完走できた事が1番良かった。

2015年7月6日月曜日

第八回目のサロマ湖ウルトラマラソンの挑戦

平成二七年六月二八日(日)朝五時スタート


 
私のサロマ湖ウルトラマラソンの挑戦も今年で八回連続になる。
毎回の気候の変化や気温の変動に体調が付いて行けなく成る程、レースは常に過酷である。
又、エントリーもマラソンブームの影響で受付から三〇分もしたら受付終了に成るレースが増えている。

サロマ湖ウルトラマラソンも同じで、一月二一日の夜八時の受付よりパソコン上でエントリーを開始するが繋がったのが二〇分後…何とか申し込みは出来たが来年はどうなる事やら。

 二月からはサロマ湖の練習も兼ねて和歌山口熊野マラソン(フル)、又同じく二月に京都マラソン(フル)も走り、二レース共三時間半切り、三月の始めの大阪淀川寛平マラソン(フル)も出走。
ただし、荒れた天気で雨のドロたまりのレースでこのレースは三時間半を切ることが出来なかった。
 又、三月一五日には京都ロードレースのハーフを走り一時間三六分のまずまずのタイム。
そして三月二九日は和歌山の熊野古道中辺路マラソンランレース(トレイルラン)三三キロに出走。タイムは一〇時間五一分。アップダウンのレースでのタイムは上々で楽しく走れた。

四月の全走行距離は四〇〇キロ。後二カ月後のサロマ湖に向かって順調にできている。
五月十五日には鯖街道マラソン(通称半鯖四二キロ)を走る。
ただし、ここに落とし穴があり例年以上のスピードで登りを駆け上がり順調に走っていて頂上からの下りにはいってすぐに前の人を抜こうと左より少し移動した時に木の枝ですべり、ハイスピードで左手・左胸・左足全体を何度もバウンドで打ち付ける転倒をしてしまう。
 
 左膝下からは石にぶつけたのか、深い切り口裂傷から血が出てくる状態。
又腹上も血がにじんでいる。左腕のアームカバー(白色)も血が浮いてくる状態。
少しその時に地の処理をして少し先のエードまでゆっくりと行き、治療をしてもらう。
少し血も治まってきたので、まだ一三キロ地点であったが、完走したい気持ちが強かったので少し痛みを堪えて走り出す。
途中何回も痛みが出てくるが走れるような気持ちがあり残り二九キロを走り抜く。

 ゴールは自分の思っていたタイムには程遠いが、自分に頑張ったと言い聞かせて喜んでいたが身体が冷めるのと同時に足がはれてくる。
腕は動かない、上がらないと段々と転倒の衝撃の強さを感じる。
少し友人の応援をと考えてまっていたが身体が限界に達して車の運転をして友人を送り帰る。
自宅に戻り、身体を洗いケガの治療をするが足は段々腫れが大きくなり医者へ行く。
病院では洗浄と治療と手当をして頂き破傷風の注射もする状態に。
れから三週間は打撲の痛さと切り口の炎症で走るどころか歩くことも出来ない日が続いた。

ようやく六月初めより少しずつリハビリを兼ねてジョギングから再開。
あと一カ月も切りサロマ湖が本当に走れるか…すごく不安に。
もうここまできたら前向きに考えサロマ湖の為に疲れが取れる時間をもらってよかったと思うように、サロマ湖まではゆっくり軽い練習に切り替えてその後は二週間前の二五キロゆっくりランが最大だった。

 サロマ湖一週間前もあまり走らずに、そして大会二日前の金曜日に北海道へ向かい、土曜日はゆっくり足休みをして当日の夜中二時に起きることを想定して夕食も六時前には食べ終わり、天気は近年に無いほど涼しく、いや寒いくらいの気温である。
私自身寒いのが好きなので気分的には落ち着いていれた。
当日、午前二時に起床、前日寝たのは一〇時(九時に布団に入ったが)約四時間の睡眠。起床後はすぐお湯を沸かし、うどん・もち・おにぎりを食べる。

三時にホテル前に集合して約1時間かけてスタート地点へバスで行く。
私の泊まっているホテルからは約六〇人がエントリーしている。三時の気温は六度。非常に寒い。四時一〇分にスタート地点に着く。会場で最後の着替えと食事をしてトイレへ並び四時四五分にスタートラインへと入る。その間にバナナ一本大福一個とスポーツゼリーを食べる。
私の服装はノースリーブで肩が出ていて非常に寒い。





五時スタート。合図と共に徐々にスタートラインへ。
約一分一一秒のロススタート。

六月の練習はほとんど軽めの練習ばかりで運動不足状態で足が軽い。
この足の軽さは練習不足と感じる。後での筋肉痛が応えそうだ。
ノースリーブのシャツを着ていて肩が出ているので少し寒いぐらいの気温、軽快に走る。
も出ず楽である。


一〇キロ地点通過、五五分四八秒。
少し例年より早い。汗も余り出ず快調である。
ただし汗が出ないがトイレが近くになる。今年は本当に寒い。
一五キロ手前のトイレに入り一分半のロス。少し時間を気にしながら走る。
二〇キロ通過(一〇キロタイム五六分九秒)ペースは安定しているがトイレ分だけロス。
二〇キロのエードで初めてサプリメントを一袋飲む。
身体も足も順調。二四回大会のような感じ。実に気持ち良い走りできている。五月のケガが嘘のようだ。しかし寒い…
三〇キロ通過(一〇キロタイム五七分一八秒)安定している。エードではバナナ・オレンジ・梅干し・サプリメント一袋を取る。
三五キロエードでパンとゼリーを取る。
四〇キロ通過少し足の張りが出てくる。又三五キロ近くで二度目のトイレ。この何年間は暑い大会が続いていたのでトイレは行かずだったが、今年は四〇キロまでに二回もトイレロス。
四〇キロ通過(一〇キロタイム五八分一九秒)まだまだ安定している。フルマラソンの距離でのタイムは四時間九秒と二四回大会より一分早い!



これからはアップダウンが六五キロまで続く。又、空腹感や足の張りが出てくる。
で四五キロでバナナ等を取る。少し登りがキツイが汗が出ない分快調で走れている。
五〇キロ通過(一〇キロタイム五七分四六秒)まだまだ安定して走れている。
後四キロ少しで休憩ポイントのエード。おにぎりや、自分のサプリメント、スポーツドリンクを置いてあるので後半に備えての休憩を取る。冷却スプレーにて足を冷やす。顔も拭き応援の孫の顔も見て元気をもらい走り出す。(約六分のロスではあるが)
これから少し登り下りが続く。
六〇キロ通過時間は(一〇キロタイム一時間四分三一秒)休憩時間分と登りで思っているより三分のロス。少し追い上げたいがやはり六〇キロ走ってくると足の張りと脱力感で走れなく成ってくる。このような時は手で走るように、手を振り足を動かすように走る。段々と気持ちも身体も疲れが出て、足も動かなく成ってくる。
それでもトイレ休憩やバナナ等の飲食をして七〇キロを通過する(一〇キロタイム一時間二分三五秒)一時間切りだと思いながら走りながら徐々にペースはおちていく。気温も上がってくるし天気も時折日差しが出る状態になってくる。少しの日差しと暑さが体力の限界とおもえるくらい疲労感が襲ってくる。水分補給を前半の倍以上を取っても足らないくらい…それでもまだまだ走れると自分に言い聞かせて走る。




八〇キロ通過(一〇キロタイム一時間二分三五秒)少しずつねばるところがねばれている。又七八キロで足の張りがピークになり左足の悪い所カバーしていた右足のふくらはぎがピーンと張りこむら返り状態に。少し走るのを止めて自前のスプレーで冷やし少しゆっくりのばして走り出す。
あと二〇キロ少し。ベストを出したい気持ちで走っていたがこれ以上無理したら完全に走れないような感じ。少しペースダウンしてゆっくりと右足を余り使わずに走り出す。後二〇キロはワッカ原生花園に入る。最も苦しい所でもあるが最も美しい所でもある。又これから原生花園内は自分との最後の戦い。足の痛み身体の疲労はピークに。各給水スポットやエードで足を冷水で冷やしながら走る。85㎞の補給所で食べるスイカ・バナナ・レモン等で身体はいつも少し生きかえる。冷水も足にふんだんとかけ首にも水をかけて走り出す。しかし少しゆっくり走っていたためか足が動かなくなる。
九〇キロ通過(一〇キロタイム一時間一四分一四秒)非常に遅れてしまった。
後一〇キロもう少し無理しても走りゴールしたい。足の動きは悪いが気力で毎年ラスト一〇キロは走っている。

今年も自分との戦いだと思い少しアップして走る。

残り五キロの看板が見えてくる。気持ちがホッとするのか全身が楽になる。
ワッカを抜けると後三キロ。ふくらはぎや太ももはピークになっている。少し無理をすれば肉離れになるだろうと感じる。
でももう三キロ。少し痛みが出ても頑張れると自分に言い聞かせて応援の人がいっぱいいる沿道に入る。
応援コールに励まされ残り二キロをひた走る。頭の中は今年も頑張れたと思う気持ちや自分が今走らせてもらっているのも家族や仲間がいて支えてくれていると頭の中で思う。いつもこのラストは自然と涙が出てくる。
残り三〇〇メートル。大声援の中ゴールへ向かう。自分との闘い、嬉し涙と共にゴールする。色々な人々に感謝でいっぱい。

ゴールしてメダルをかけてもらい、軽く足を動かし水分補給とアイシングに入る。



今年のサロマ湖は二四回大会【私の二回目】の時とよく似た天気気温で暑がりの私には最高のコンディションであった。しかしラスト二〇キロのねばりが出せずベストは出なかったが(一〇時間一七分四九秒)ネットタイムは十分に満足のタイムであった。
又来年九回目目指しスタートしたいが今は早く眠りたい何も考えずに。一年間の充実感と痛さを身体に感じて終わる事とする。






2015年5月29日金曜日

鯖街道マラソン

517日日曜  
 前日は雨が降り曇り空、当日は打って変わり快晴の天気。

520分に起床


洗顔し身支度して、足裏テーピングして準備万全に、6時に朝食を食べる。
内容はお餅2個、卵がけご飯一杯    野菜ジュース、スポーツドリンク、ヨーグルト。

トイレに行き、6時半に自宅を出る。
途中一緒に走る仲間を迎えに行き、受付の出町柳河川敷に。出町は公共の地下駐車場があり大変便利。
7時半に受付を済まし、車にて最終準備。

ふくらはぎの取り付けカーフを忘れる、山岳レースでは怪我をするので1番必要なものを忘れる…少したるんでいる。

8時過ぎ京阪出町駅のバスターミナルからスタート地点行きのバスに乗る。
9時にスタート地点に到着
スタートまで後1時間あり、少し間が有りすぎで難しい!!



9時半にバナナ一本食べ   45分にジェル一本を補給して、スタート地点まで歩く。

快晴
スタートは順調に仲間の後を着いて行く、少し4キロで50m程離される。
最初のエードでおにぎり一つ、きゅうり一つ、梅干し一つ食べ、仲間の後を追いかける。
前回より30秒の遅れ。ただこれからは登りが続く。
11kmまでの登り、前回より疲れ的には軽く楽に思える。   
今回はベストで走れるような体調である。



登り切って下りに入り13km手前で  自分が経験したことのないアクシデント発生、
小さな木に滑り、スライディングのように前に転けてしまう。
足の左ふくらはぎ外側に小石で引っ掛けた傷と15cm程引きずった切り傷を
又腹から肩まで一面に擦り傷と腕も擦り傷、手の平3箇所切り傷等と5m程のバウンドによる打撲痛とふくらはぎからの出血とドロまみれの状態に、
周りも心配していただき、1時はリタイアを考えたが、後1キロ先のエードまでは、たどり着くように歩き出す。
幸いに頭や膝や太ももや腰に痛みが無く、軽くなら走ることが出来ると自分に言い聞かせ!!

エードで止血と消毒をしていただき、痛みはあるが走り出す。


残り30km…無謀な事…行けるところまではと走り出す。下りに入ると傷口が響き痛い。
腕からはアームカバーに血が浮き出てくる、途中抜いて行く人は大丈夫かと声をかけていただき、感謝でした。
鞍馬の頂上のエードはさすがに辛いくらいに足が動かずでしたが、エードでそうめんやくだもの、スポーツドリンクの補給で少し楽に。
これからはゴールまで13km下り、鞍馬のドライブコースのヘアピンは普段は大好きですが、今回はスピード出せず、でも諦めずに走れている。
5キロ弱で鴨川の河川敷にそれからゴールまでは背中に太陽を受けて走り、疲れもピーク。
又足が動かず上がらず、痛みは最大に足腫れてくるし、切り傷は汗で痛く、ラスト3キロは坊さんの業であった。

それでも諦めずにゴールテープを切った時は涙が出てきた…。

終われば嬉しいがここからが痛みが冷えと同時にジンジンと痛み出す。
今回は反省だらけのレース。もう一度過信せずに、準備も確実にして望むべきと言い聞かせる。
スピードが少し出せない分  ジェルは5キロおきに半分ずつ飲んだだけの二本と顆粒は鞍馬の一本のみであった。

まずは自分の身体を治し、来月のサロマ湖ウルトラマラソン100kmに頑張りたいと思う。

2015年4月29日水曜日

4月26日 いだ天マラソン


和歌山県勝浦で開催される山岳レース
過去5回は60km65kmのショートコースを走りました。

それは6月のサロマ湖ウルトラマラソン100kmが有るので、疲労や怪我の事を思い、いだ天ウルトラの100kmは走らないようにしてました。
しかし、昨年私のサポートをしてくれた社員が、自分も65kmに挑戦すると出場を決めた事が、私のレース魂に火がつき、100kmの山越え(3つの山)をする事に決め申し込みました。


4月25日土曜昼まえに出発    

新名神から伊勢道を尾鷲に向かい、42号線にて勝浦に5時着。
ホテルへ   
ゆっくり温泉に入り7時からの夕食、10時には明日の段取り支度終わり就寝

明日は2時半起き、早朝4時に那智の滝に集合。
滝にてお参りして早朝5時滝よりスタートする。

階段をかけ上がり車道から山頂へ、それから一気に10km程を下って行く単調で険しくは無いが、距離が長く下りは脚でブレーキをかけるので、筋肉痛が半端でない。
山を下り降りたところに休憩エードがあり   まだ二時間も走ってないが脚は重い。
少し多くドリンクを飲み  これから35kmまでは平坦な道程を走る、天気も良く暑い、日差しも強く無理したら倒れそうになる。

まだまだ先は長いが、先ずは第一目標の35km地点を3時間15分以内に通過すること!!
何故なら65kmレースのスタートが100kmレースの3時間15分後で沢山の応援が待っているからである。
何とか2分前の3時間13分で通過することができた。



少しTIMEも貯金出来たが、いよいよこれからが二つ目の難所の山を登って下り又登って下りを2三回繰り返し平坦なこの地点まで帰ってくることができる。
段々と登りも脚は止まりそうになるが、なんとかスピードは65kmのように走れ、70kmまでは戻って来れた。
着替えの出来るエードスティーションでアームカバーや手袋を外し、少しアイシングして、補給食を多く取り、残り30kmを走り出す。
これから10kmは平坦な道であるが、疲れや脚は固まり、動かずでかえって平坦な道は疲労感で脳が負けてしまい、スピードが落ちてしまう。

80km地点では貯金はオーバー23分に。。。
又これからは最後の難所、来たときの山を登って行く、
後登り8kmの看板 …後8kmも登るのか…脚も身体も脳までがため息をつく。
それでも自分に後少し、後少しと言い聞かせ歩かずに頂点を目指す。
2kmの看板を見て、逸る気持ちを抑えひたすらに登る   
頂点が見えてそこにあるエードについたときは安堵感と、残り下りだけである安心感のような気分になる。


少し長く休憩して下り降りていくが…
昨年までの65kmレースのようには下れずで、脚が動かず、下れば脚は固まり筋肉はパンパンで足は上がらず、
下りも1キロ6分近くかかっていく。
ようやくヘアピンカーブを下り降りたら残り3kmに。ここからはゴールまでは平坦な道。
もう気力も無く、心身ともに疲れ果てていくが、ゴールまでが1kmになると、ここまで来た、帰って来たと言う自分がいて、
少し元気に身体も軽く走りだせる。

TIME10時間45分をまわり、自分の目指していた10時間20分は越えていたが後1km弱は最後の力を振り絞り走る。
ゴールが見え、沢山の人が応援や頑張ったコールをしてくれる。
友人もゴールでカメラを持ち待っているのが見えた。

涙が少し出てくる。ゴールとともに友人と抱き合い10時間50分の100kmレースを終了した。

山岳レースの100kmは始めてであったが、サロマ湖と違う厳しさと村の方々の温かさを味わえた貴重な思い出のレース大会であった。



2015年2月23日月曜日

2月15日(日曜)京都マラソン 走って来ました‼

会社からは私含め3人が当選して都大路を走りました。


当日朝7時に西京極競技場に阪急で行き、着替えや準備を終え8時に着替え等の荷物をゴールの平安神宮前まで運んでくれる
トラックに渡しその後軽くウォーミングアップをして各TIME別の整列に8時半到着。


天気は曇り 今にもしぐれそうな天気、気温5  少し寒いがマラソンには良い。
少し整列が早いので寒いが…頑張って9時スタートを待つ。


私は第二グループのBスタート号砲から約1分でスタート地点通過 
京都マラソンは観光地を走るので山あいのアップダウンの有るコース道幅は少し狭い…
それでも沢山の応援に後押しされて頑張れる‼

何回か時雨に見舞われるが、私は3時間27分でゴールすることが出来た。



2人も自己ベストを更新する走りで達成感を味わったようで完走後の顔が清々しいく素晴らし顔をしてました。
私が走り出して11年目、今では社内の4人がフルマラソンを走ります。
達成感や何かを感じて仕事に活かしてくれたら幸せです。